わたし、屋上好きなんです。

たとえばどこかのビルのエレベーターにそっと乗り込み、屋上階のRボタンを素早く押す
ゆっくりと上昇するその箱の中で、私はもうすぐ出会うはずの屋上に思いを馳せる
それは20年ほど前に屋上を撮り始めたときから変わらない、うれしくも危うい、スリリングな時間だ

屋上、そこは建物の構造上できた、あまり使い道のはっきりしない場所だ
しかし東京という街の地上と空の間に確かに存在する、余白のような空間
その空間が気になって仕方がない

地上からは決してうかがい知ることのできない、東京ならではの魅力がひそむ場所
それはまるで秘密の花園のようにひっそりと、そこにある・・・。
屋上の何に惹かれるかというと、その眺望。
登ってみて初めて見える、景色
そこからしか撮れないものが、そこにある

そして殆どの屋上はどこか廃れていて、ノスタルジック

都会はゴミゴミしているのに、ひとたび屋上まででてしまえば、人口密度は急降下
時に誰もいない空間で、ひとり物思いにふけることができる

東京に屋上がある、と教えてくれたのは何を隠そう「孤独のグルメ」である


西武池袋屋上の有名なうどん屋さんの回。
「ここは都会のエアポケットだな」とつぶやくシーンが忘れられない。
なんども行ったことがある場所なのに、これを読むまで屋上があることを知らなかった
ここには聖地巡礼もしているし、リニューアルした時も我先にと遊びに行った


「東京屋上散歩」の鷹野晃さんも屋上に魅了されたひとりだ。
 
どんなに居心地がいいからといって、あまり長い時間そこに留まってはいけない
屋上特有のあの奇妙な時間に浸りすぎると、そこに棲む魔物にうっかりからめとられ、二度と日常に戻れなくなる気がするからだ

宇宙の片隅の奇跡の星で繰り広げられる、それぞれの日常
たとえそれが悪い冗談のようなやりきれないものだとしても、必ず日常に戻らなくてはいけない

屋上の扉を開けたものが守らなけらばいけない、大切な掟だ

屋上ってどこか不思議で非日常な空間だなと思っていた
だから強く惹かれていった
同じことを感じている人がいるとは思わなかった

おおよそ90年代から2010年代の屋上写真をつづったこの本
 2015年の今、改めて見ると、喪われた景色も多々あることに気づく

随所に挟まれる屋上エッセイが秀逸
屋上門外漢の方でもそれが醸す独特の魅力に気づくはず

写真家さんの作品だけれど屋上を綺麗に見せようと思っていないところがいい
むしろ曇空と雪景色と、
如何にしてノスタルジックに、儚げに撮るかを極めている。
 
屋上は決して美しい場所ではない

なんとなくできてしまって、なんとなく使い道にも困ってしまった現代社会の吹き溜まり
だからこそ非日常的で、登頂せずにはいられない

私の場合、一度開拓してしまうと大体満足してしまう
エレベーターのRボタンを押して、たった一人で何にもない屋上に突き進んでいく
この開拓者精神が皆様にあるだろうか?
初めて登頂した時のあの解放感は何物にも代えがたい感動がある。
とてつもなく生きてるって感じがする

このカタルシスをぜひともあなたにも体感していただきたい。
 

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